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「ちゅうえいとしゅうえいと人生と」原柊英(中国語科・1年)




国際社会学部中国語科1年

原柊英です。


開いてくださり、ありがとうございます。

拙い文章ですが、読んでみてください。





しゅうえい。


わりと珍しい名前。


僕は自己紹介が昔から好きではなかった。


いつも1回で聞き取って貰えない。


必ず聞き返される。


しゅうへい? しょうへい? しょうえい?


そして


ちゅうえい?


そう

僕は常にお笑いコンビ流れ星のちゅうえいさんと比べられて生きてきた。





彼がテレビに出始めたのは僕が小学5年生くらいのとき。


今から10年近くも前のことだ。


300個以上ある彼の一発ギャグはお茶の間で大ウケだった。


もちろん、僕の同級生達も彼のことが大好きだった。




当然のように、名前が1文字しか変わらない僕は、いじられる運命にあった。



あだ名でちゅうえいと呼ばれるのは苦ではなかったが、一発ギャグを振られるのは嫌だった。



その頃所属していたサッカーチームでは、

僕の罰ゲームは常に彼の一発ギャグだった。



彼とは真逆の性格である僕は一発ギャグなんて嫌だったし、恥ずかしかった。



なんでそんな名前で活動しているんだ


彼を恨んだこともあったが、

ちゅうえいという名前は本名だそうで

以降、何も言えなくなったのを今でも覚えている。




誤解しないで欲しいのだが、僕は彼が嫌いというわけではないということだ。大人になって、ギャグで飯を食っていこうとする彼の意思に感動すら覚える。


流れ星のネタも好きだし、もちろん、彼のギャグも大好きだ。瀧上はそんなに好きではないが。


イチオシはウーパールーパーのやつ。


あと、

とんねるずのみなさんのおかげでしたという番組の一発ギャグのラリー対決は是非見てもらいたい。

腹がちぎれると思う。ちなみに、僕はちぎれた。




ところが

芸人というのは旬がつきものであって


彼の名前でいじられることは

僕が大人になっていくにつれて少なくなっていった。



僕が高校生になる頃には

テレビで彼を見ることが少なくなっていった。


たまに、ネタ番組に出演するくらいで、彼のギャグを見る機会はほとんどなくなった。



そして、僕は大学生になった。

大学で、ちゅうえいと呼ばれることはついに全くなくなった。


彼と共に歩んできた人生だったので

少し寂しく、悲しくもあった。




僕は

中総体で県大会にも出場できず

中学サッカーを終えた。


高校では1試合も公式戦に出場できず

高校サッカーを終えた。



僕は

高校受験に落ち

行きたくもなかった男子校に入った。


大学受験にも落ち

行きたくもなかった予備校に入り

浪人した。



そして、

やっとのことで今年この大学に入ることができた。



やっと掴んだこの大学生活

毎日充実していると実感している。


素晴らしいチームにも恵まれた。




僕の人生はたった今、復調の兆しを見せている。

再ブレイクしそうな芸人のようだ。


なかやまきんに君みたいな。

ムーディー勝山みたいな。これは違うか。



まあ、どうであれ


確実に、中高の頃の自分よりも上を向いている。

上へ登ろうと頑張っている。

希望に満ち溢れている。



必ず、東京都一部リーグに昇格する。

試合にも出場して、チームに貢献する。

これが、僕のこのチームでの目標だ。



最高のサッカー人生だったと胸を張れるように

最後のサッカー人生を楽しみたいと思う。




最後に、


僕は流れ星ちゅうえいさんをこれからもずっと応援するつもりだ。余程のことがない限り。


また、再ブレイクする時を願っている。

テレビで意気揚々とギャグを連発する姿を再びみたい。

僕も、今から這い上がっていこうとしてるので、彼にも這い上がってきて欲しい。


芸人人生と比べるのは大変お門違いかもしれんが。



相方と仲が悪いみたいだが、頑張って欲しい。

また、僕がちゅうえいと呼ばれる日が来ることを願っている。


がんばれ!ちゅうえい!




最後まで読んでくれてありがとうございました!


それでは失礼します!




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