「とあるアーセナルファンの幼少期」 マレーシア語科3回 林史弥
- tufsfc
- 2020年3月27日
- 読了時間: 3分
皆さんこんにちは。
ホームページのリニューアルに伴いブログを書くことになりました。
今年度から外大サッカー部はユニフォームやホームページの変更をしたり、部内のルール改正をしたりなど改革を行っておりますが、私ただの口座管理者ということでなにも関われておりません。
ついには会計担当の仕事で最も重要な部費集めの仕事も同期の岡田に取られてしまいました、2018年入学マレーシア語専攻の林史弥(はやしふみや)です。出身は岐阜県でございます。
このブログの内容は外語大らしく自身の海外の経験ということで紹介させていただきます。
私がなぜマレーシア語を選んだかというのは自身の経験に基づきます。
私は幼稚園から小学校にかけて3年ほど父親の仕事の都合でシンガポールに滞在しておりました。
当時の旅行もマレーシア、インドネシア、タイなどばかりでそのおかげで世界観が東南アジアしかない状況です。東南アジアってサッカーチームのTシャツ短パンサンダルで街中ふらついて、ご飯もその辺にほったらかされてる物出されて、値引き交渉も頑張れば3分の1まで下げれるもんやろっていういい加減なものばかりです。
日本ってほんとにすごいよね。早くヨーロッパでサッカー見て、アメリカでバスケとメジャーリーグが見たいものです。
さて私がサッカーを始めたのもシンガポールです。
始まって3年くらいしか経っていなくてプレミアリーグのアーセナルが公式運営していたサッカースクールに入りました。そのせいでずっとアーセナルファンでございます。
当時はバカ強かったのに年々弱くなって今シーズンはね...何とか頑張ってほしいものです。
ちなみにそのスクールは今やシンガポール最大らしいです。僕が在籍してた時からタイ遠征とかありましたしね。
当時の仲が良かったチームメイトが18歳でプレミアリーグのフルハムと契約し、飛び級でシンガポール代表にも選ばれそして兵役を逃れるためにタイに国籍を変えてもなおタイ代表としてプレーしてるやつがいます。
シンガポール?タイ?の久保建英みたいな感じでしょうか。天才少年とか言われてました。もっとビッグになって僕に自慢させてほしいものです。
当時のスクールは様々な外国人がおり、今思うとよくあんなにまとまりのないチームでサッカーしてたなと思います。守備をしない中国人、シュート決めることしか頭にない欧米人、結局守備に回る日本人、国民性がうかがえますね。
帰国して日本ってサッカー上手いなって思ったのは覚えてます。めっちゃリフティングするやんとかボールめちゃとばすやんとか。
やっぱ日本ってサッカーのレベル高いですわ。
ではブルネイで生きた芋虫食べて涙目になった写真載せて終わります。さよなら。

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