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【卒業ブログ】「守り抜いた5年間」志村亮太朗(ドイツ語科)

更新日:2023年3月28日



思い返せば、常に何かを守ろうとしていた5年間だった。


GKとして、ゴールを守り続けた。

主将、副将、幹部として、組織を守り続けた。


苦しく、やりがいのある日々だった。


確かに私にとっては苦しい時間の方が多い日々ではあったが、その分学んだことも多かったし、成長できた5年間だったと思う。


特に思い入れが大きいのが、副将を務めた大学3年次と、主将を務めた5年次だ。


大学3年生。


副将として、誇れる同期たちと一緒にTUFSFCの新時代を作ろうと意気込んでいた。

りんの考案した戦術がどハマりし、新人戦でいきなり成果を出した。みんなのパフォーマンス、モチベーションは最高だった。

そんな中始まってしまったコロナ禍。

活動停止を余儀なくされ、チームは窮地に立たされた。様々な原因から退部者も続出し、チームの雰囲気が悪くなってしまうことも多々あった。このまま人数が減ったら部として存続できないかもしれないと感じる瞬間すらあった。

これからチームをどうしていくべきか。戦術、規律、広報、組織構成、新歓。とにかく議論し続けた。同期、後輩、そして尊敬できる先輩たちがそれぞれのフィールドで活躍し、オンライントレーニング、新ユニフォーム作成、広報リニューアル、オンライン新歓企画、スポンサーの獲得など、次々と成果を出していった。本当に推進力のあるメンバーが揃っていた。

そしてリーグ戦が再開。結果は2部昇格にあと1勝のところで届かず。それでも、チームが確実に強く、大きくなっていることを感じられた。

これからのTUFSFCの可能性を広げることができた一年間だったと思う。


大学5回生。


休学から復帰し、主将として過ごした最後のシーズン。正直、これまでで一番苦しい一年間だった。

復帰早々、数人の部員に負担を強いて2部で戦うか、自主降格を選ぶかの岐路に立たされた。決断しなければならない立場として、本当に胸が張り裂けそうな思いだった。

複数回活動停止になったこともあった。イレギュラーが起こるたびに、その対応に走り回った。

普段も考えていたのはチームのことばかりだった。


・遅刻者やミスをしてしまった部員に対してどう対応すれば本人、チームのためになるのか?

・学生課、都学連と良い関係性を保ちつつ、自分たちの主張を通すにはどうするべきなのか?

・高騰するリーグ戦費用はどう補えば良いのか?

・練習の質を上げるためには人数が必要だが、授業に行きたい部員も多い。どう対応するべきか?

・練習の雰囲気はどうすれば良くなるのか?


無理難題を突きつけられ続けた気分だ。

それでも、同期を中心に様々な人に支えられ、最後までやり抜くことができた。常に問題に一緒に向き合い、一緒に悩んでくれた彼らには感謝しかない。

苦しいときがあったからこそ、試合に勝ったときなど、時折感じられる喜びはひとしおだった。

特に、インターナショナルダービーで引退を迎えたときのあの幸せは忘れられない。

ICUのみんなと出会えたことも本当に嬉しい。

思い返せば、私の役回りは常にチームを維持するための守りの役割だったと思える。でもきっとそれが性に合っていたし、やりがいも感じられていた。

壁に向き合い、乗り越え続けられる精神的なタフさと、組織のトップとしての責任感を身に付けさせてもらった貴重な5年間だった。何物にも代えがたい経験だった。


最後になるが、改めて一緒に5年間を過ごしてくれた全ての人に感謝を伝えたい。

本当にありがとうございました。


<TUFSFCをご支援くださった皆様へ>


私たちがこれまで走り抜けられたのは、TUFSFCを支えてくださった皆様のおかげだと思っております。

1年間ご支援くださったリンクエッジ様、GiFT様、そしてOB会の皆様。応援に駆けつけてくださった先輩方やご父兄の皆様。

これまで私たちを支えてくださり、ありがとうございました。

そして、TUFSFCの歴史はこれからも続いていきます。

今後とも末永くTUFSFCをご支援いただけますと幸いです。

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