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ほんとはエジプト滞在記 新5回 主将 島崎響


大学時代に頑張ったことは何ですか?(400字)

「留学に力を入れました。大学ではペルシア語を専攻しています。授業では学べない、レベルの高いペルシア語に触れるためイラン留学を決めました。・・・そこで、私はイラン人のメンタリティに直接触れることができました。異文化理解の難しさを改めて実感し、自分の物差しでは世界を量れないことが分かりました。・・・私はこの経験を活かして、異なるバックグラウンドを持つ人ととも相互理解ができるように努力していきたいです。・・・」



こんにちは。新ホームページの初回ブログを飾らせていただくのは、アラ科落ちペルシア語科新5回の島崎です。18歳の僕が思い描いていた留学は、インスタに、ピラミッドを背景にラクダに乗った写真を投稿するものでしたが、願いかなわず、イランに甘んじてしまいました。イラン留学から帰ってきて、就活真っただ中。冒頭の文章はESのいわゆる学チカに対応する自分の答え。イラン留学をそれっぽくいい感じで書いて、企業の採用担当の方に「おれはできる人間だぜ。マイナー言語のペルシア語を学んでるんだぞ。こんなやつなかなかいないぜ。ワイルドだろううう。」と精一杯自分を着飾っています。だからESの内容は事実と違います。てか、世の就活生の大半はそうでしょ。みんながみんな、他人に誇れるような話を持っているわけじゃないっしょ。きっと多くの学生がありきたりなエピソードを誇張に誇張を重ねてこちょこちょしまくってんでしょ。まったく社会人になるってのは大変だぜ。おっとっと、就活へのストレスが出てきてしまいました。


だけど、就活は悪いことばっかじゃないです。これまで自分が歩いてきた道のり、轍(これをcareerと言うらしい、知らんけど)を見つめ直すいい機会でもあります。書きたいことがいっぱいあるのですが、ここでは留学中に僕が本当に学んだことについて書きます。


僕がイラン留学から学んだこと。それは、僕はどうやらイランが嫌いなんだということです。嫌いになったというか、元から嫌いでしたが、嫌いだったと再確認。何度も好きになろうとしました。しかし無理でした。小さいころから、母に「人類みな兄弟」という言葉を刷り込まれてきました。価値観が違っても、話し合い意見をすり合わせば、互いに分かり合うことができると信じていました。多くの人とお互いを分かり合うツールを手に入れるために、大学に入り外国語を学ぼうと考えていました。自分の国の言語を学ぼうとしてくれる外国人を見るとうれしくなりませんか。例えば、ある外国人が日本語を学んでて日本語で話そうとしてくれると、「うれしい」ですよね?自分の国の文化に対して興味を持ってくれると、「うれしく」ないですか?この時に感じる「うれしい」という気持ちは全世界共通の感情で、お互いに異文化を知ろうという姿勢を広げていけば「人類みな兄弟」を確認できると思っていました。イランは違いました。それとも、自分のこの「うれしい」という価値観が間違っていたのでしょうか。とにかく、僕が稚拙なペルシア語でどうにか意思を伝えようとする時、「君のペルシア語はまだまだだね。」「もっときちんと発音してよ。」と言われ笑われることが多々多々多々多々ありました。そうだよ、その通りだよ、おれはペルシア語で話すのが下手なんだよお。それでも、そんな態度取ります?お前、日本語も英語もしゃべれんやん。くそがあああああ。ペルシア語なんて今後二度とつかわんわ、ボケえ。イラン人には僕が当たり前と考えていた、「うれしい」という感情がないように感じられました。相手にうれしくなってもらうためにペルシア語を学んできた僕にとって、この価値観の違はショックでした。こういう態度を取られると相手を理解する気がなくなります。もちろん、親身になって話を聞いてくれる人もいます。そういう人たちは大切にしましょう。ただ、自分の場合はそれ以上に前者のような嫌な奴が多かったです。だから、イランが嫌いです。


しかし、自分のこの態度、「こっちが理解しようとしてるんだから、あなたもこっちに興味を持ちなさいよ!!」メンヘラ彼氏が見返りを求めるような態度は、相手からしてみれば大きなお世話なんだとある時気づきました。僕の価値観は間違っていませんが、相手の価値観も間違っていません。問題なのは、自分の主張が弱かったところでしょう。人はそれぞれ異なる価値観を持っています。異文化理解は相手の価値観を尊重するところから始まり、自分の価値観を知ってもらい、二者間で新たな価値観を作り上げることだと考えました。僕は相手の意見を尊重するだけで終わってしまいました。それにより、うまく相互理解ができなかったのでしょう。


イランが嫌いな理由はこれだったのかもしれません。自分の価値観を世界基準に考えていたために、それに合わないイランをあたかも悪者かの如く、嫌っていたのかもしれません。イラン留学に行かなかったら、自分が高尚に思っていた、「メンヘラ彼氏みたいな」「相手にうれしくなってもらう自己満」価値観にいつまでもしがみついていたでしょう。8カ月イランで暮らしたからこそ、この価値観の違いを毎日思い知らされました。脂っこい料理、くそ熱い環境、「チンチャンチュン」。僕はイランが嫌いです。それでも、たった1つですが、重大な気付きをくれたイラン留学には感謝しています。母国語ではなく、外国語でこんな大きな気づきを得られるとは。



*参加した地元の少年サッカーチームのチームメイトたちと

純粋無垢な少年たちで、自分の汚い心が洗われました。


昨日インターンシップの面接に行きました。最初の自己アピールでこれほどかというほどにペルシア語ができるアピールをしました。その後、一切ペルシア語に関する、イランに関する質問をされませんでした。うおおおおおい。ちょっとでもいいから突っ込んでくれやああああああ。


最後に主将らしく一言。自分自身、大学に入ってからしたいことがたくさんありました。その中でも、ぼくがサッカー部を選んだ理由は、このままでは自分のサッカー人生にピリオドが打てないと思ったからです。サッカーに打ち込むことができる最後の機会です。一緒に、悩み、もがき、苦しみながらも、リーグ優勝に向けて挑戦し続ける、仲間が欲しいです。グランドでお待ちしてます。

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